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私の家づくり その4 (初期)

更新日:09/04/12

  昭和末期の会社設立当時は、新築着工数が年間160数万戸以上(昨年度は110数万戸)という大変恵まれた好景気(バブル)時代でした。まだまだ経営のことなどほとんど無知で、実績も信用も資金もすべてないない尽くしの私達でも、有難いことにそれなりに切れ目なく注文をいただき、連日深夜に帰宅するという大変ハードな毎日でした。私は当時まだ子供が1歳、3歳、5歳とかわいい盛りでしたが寝姿しか見れず、「遊んでやれんでゴメンな・・・」と言いながら無邪気な寝顔をなでてやるだけの毎日でした。たまの日曜日だけが子供と遊べる唯一の安らぎでした。
  当時失礼ながら、余りにもいい加減で不真面目な工務店が多かった時代に、「誠心誠意」「手抜きしない」「ウソをつかない」「喜びと満足」の本物建築(住宅)が造りたくて一念発起した私でしたので、受注過多で「品質」や「満足度」に責任が取れないと思ったら、生意気にも仕事をお断りすることもありました。仕事は店舗、アパート、事務所、工場、何でも請けてました。
  逆境や不景気が人を育てると言いますが、当時は大手メーカーと地元工務店とではいろいろな点で顕著なレベル差を感じていましたが、バブルがはじけ、どん底の不景気を体験したお蔭で、今まで生き延びてきた弱小工務店は、勤勉に真摯に本気に学習し切磋琢磨しながら大きくレベルを上げ、メーカーでは決して出来ない細やかな得意技を発揮し頑張ってきたと思います。
  ところで、京都の修業時代に社長が口癖のように言っておられたのを思い出します。「安達君、我々の仕事は最高やで!金儲けさせてもらった上に、竣工すれば一番の高席に招かれて、感謝され、感動され、もてなされ・・・、そやからこそ大きな責任もあるし、大金任されてるんやから命掛けで頑張らなあかんで!。ほんまに感謝せんとな!・・・」老若、全社員、下請け、皆、まじめで真剣で真摯な社風がありました。京都でも屈指の老舗工務店でしたから、思想や立ち居振る舞いまで、その歴史(実績)が教える重みみたいなものを感覚で学習してたような気がします。私がめざし指導してきた仕事に対する姿勢、考え方、行動パターンや技術の研鑽へのこだわりの原点は、すべてこの若き京都時代にあると心から感謝しています。
  その頃の数少ない写真は、今でも私の大切な「宝物」です。もし、いい時代に旅立ち、最初から思いの設計事務所に就職してたら・・・、京都じゃなかったら・・・、この工務店にご縁を頂いてなかったら・・・、まあ思えば人生いろいろ、めぐり合ったその場その時を精一杯生きていくしかないですよね・・・。
   

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