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私の家づくり その2 (木造住宅との出会いから円建創誕生へ)

更新日:09/03/19

  32歳の秋、私は楽しかった某設計事務所の希望退職で仕方なく退職を申し出て、それを機会に約10年のサラリーマン生活に別れを告げていよいよ一念発起、自分で旗揚げしようか・・・?と準備方々悶々と送っていた頃、その設計事務所の所長さんと某住宅会社の社長さんからの強い要請に断りきれず、生意気にも2,3年の期限付きという条件で入社しました。
  私は、父親が4代目という材木屋(製材業)の3男に生まれ、子供の頃から木を見て木の香りの中で育ってきたのでもともと木が大好き人間でした。当時、長兄が5代目を継ぎ、次兄も1級建築士として木造住宅の仕事で活躍してたので、同じ旗揚げするなら家業や兄達の少しでも手助けにでもなれればと、木造住宅に転向してみようかという思いも心の隅には常にありました。ここで木造を本格的に勉強してみようという新しい目標(夢)を作って入社しました。
  勉強のつもりで入った私がまず戸惑ったことは、1級建築士は私一人で、当時は地元の住宅会社にはまだまだ1級の資格者は少なく、社長、社員、職人方全てから過度な期待(特別視)をされたことでした。1級という資格の重さや10年と言うキャリアの積み上げもあって、そうそう軽々に周りに聞くことも出来ずに慌てました。私は大学でも専門分野だけは好きでよく勉強したという自信はあったものの、前回お話したように、何せ木造は全くの未経験でズブのシロウトでした。どんどん質問は来るし設計の依頼は来るしで大変でした。それからは学生時代の専門書を引っ張り出し、内緒で人の現場を見に行ったり、一人遅くまで残業しながら自己特訓の毎日でした。
  ほとんどの知識や作業は半年もすれば十分人並みには習得できましたが、木のことは一朝一夕にはとてもわかるものではありませんでした。それでも幸い実家が材木屋、木そのもののことはその気になって足を運べば兄や父親という超ベテランがいつでも教育してくれました。
  その次に唖然としたのは、入社した会社はもちろんのこと、地元住宅会社そのもののいい加減さと、モラルや技術力のレベルの低さでした。当時はまだまだ全てにおいて大手ハウスメーカーとのレベル差は歴然としてました。当時の京都や松江で一流と言われた地元ゼネコンや設計事務所で学んできた私にとっては大きなショックでした。
  そんな訳でこの2年半、新しい分野の木造住宅を勉強させてもらい、一人ガムシャラに夢を追っかけて頑張ってきたこの住宅会社とも期限のお別れの日がやってきました。そして優秀な片腕となる人物とめぐり合い、いよいよ夢の「円建創」が誕生することとなるのです。 

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